おすすめはホンダの中古車!

現在では、国内に限っては広告などに目立ったレース活動をのせないようにしています。


また、大メーカーが本格的に作り上げたレーシング・カーは、性能的にも極端に高くなり、当然サーキットだけを走るマシーンなので、現実の市販車やホンダ 中古車とは無縁のものになっています。


・・したがって最近では、ラリー競技に重点が移り、市販車を改造して参加する例が多いです。


日本では日産とトヨタが最も熱心であり、サハリなど世界的に著名なレースに参加を続けています。


これに対し、ホンダはレース・サーキットを持ち、フォーミュラー・カーなど純粋なレーシング・カーでは、かつて優勝したこともあります。


現在は、まずはじめF1用エンジンの製作を行うことから始め、海外ではレース活動も積極的に行ってはいますが・・・


国内ではシビック・レースなど、地味な活動をしているのに過ぎません。


自動車メーカーとオートレース


大メーカーが本格的にレース活動をしたのは、フランスのルノーやプジョーがはじめであり、ドイツではダイムラー社です。


現在の名車メルセデスも、最初は1901年製作のレーシング・カーの名前でした。


中古車の検索サイトの多い日本でも、1930年代からオートレースが開かれていますが・・・


このころには自動車メーカーの宣伝活動はなく、自動車修理工場が作るレーシング・カーを集めた新聞社主催のショーに近かったのです。


メーカーとして本格的にモーター・スポーツに参加したのは、1957年の豪州ラリーにトヨタのクラウンが参戦。


翌58年に日産のダットサンがクラス優勝したあたりが最初の成果です。


そして、日本の第一回グランプリ・レースは、1963年にホンダの鈴鹿サーキットで開かれ、全メーカーが積極的に参加しています。


・・・ただ、あまりにも自動車メーカーが正面切ってレース活動をすることは、若者の暴走心をかきたてるということで、社会的批判を受けやすいのです。

パリで人気のホンダ中古車


モーター・スポーツへの参加自動車はなんといっても走るための機械ですから・・・


セールス・プロモーションにはモーター・スポーツ活動が最も直接的であり、効果的です。


古い話ではフォード1世が、1902年に早くもレーシング・カーの999号を作り、時速147キロメートルの記録を作っています。


その名前も、ニューヨーク・セントラル鉄道の特急用機関車の番号から取るなど、あくまでスピードのイメージを主にした宣伝を前提としたレース活動であることが分かります。


ヨーロッパでも同様で、ガソリン自動車の誕生後間もなくから新聞社主催の自動車レースが開かれ・・・


この方は大都市間のロード・レースの形を取り、自動車メーカーとタイアップをして宣伝活動をしています。


このうち、現在まで続いているフランスのグランプリ・レースなどは、1895年に第一回が開催され、パリ・ボルドー間278キロメートルで行われ、パナール車が平均速度毎時24キロメートルで優勝しています。


ちなみにフランスではホンダ 中古車が人気のようですね。


ファッション性の高い中古車

女性オーナーにねらいをつければ、サニーの松坂慶子や小野みゆきがいました。


ターセル/コルサでは山口百恵が使われていましたね。


スペシャルティ・カーでは、レパードのような中年向けには加山雄三が出場。


中古車情報の多いシティのようなヤング向けのクルマではマッドネス・グループがあてられ、いずれも歌手兼俳優のところがよく似ています。


もちろんスポーツ・マンの活用も例が多く、グロリアのジャック・ニコラスやコロナの長島茂雄の例があり・・・


スポーツ・カーではセリカのコーリン・チャップマンのようなスポーツ・カーのデザイナーや、スカイラインのポール・ニューマンのようなレーシング・ドライバーの経験がある俳優などが起用されています。


イメージ・キャラクターとはちがいますが・・・


ピエール・カルダンやユベール・ジバンシイなどとともに森英恵など、ファッション界の人物も使われ、これらの人々が内装のデザインを担当したとして商品のイメージ・アップをはかっています。


イメージ・キャラクター


ホンダ 中古車などの自動車は、サイズの大小や使用目的に合わせて、さまざまなモデルが作られています。


・・・したがって、特定のクルマを対象にすれば、そのユーザーの年齢や社会的地位はおのずと限られてくるはずです。


事実はむしろこれとは逆に、ニューモデルを開発するときには、特定のユーザー層に絞って、それに見合った車としてのスタイリングやデザインが進められているといった方が正確です。


そこで、これを文字で表現する代わりに、ヵタログやパンフレットにイメージ・キャラクター(性格づけの人物)として、有名人を使うことになります。


当然これには、映画俳優があてられることが多く、プレステージ・カーには年配者で風格のあるモデルを選び・・・


なつかしいところで言えば、クラウンの山村聡やセドリックのニ谷英明がいますね。


ファミリー・カーではカローラのジェリー藤尾のように家族まで動員された例もあります。

猫も杓子もターボ化した時代・・・

日本はモータリゼーションの奥行きが浅く、クルマと生活との密着度は希薄でした。


そのため、勢い、その趣味嗜好は質のよさといった内面的な部分よ恢見かけの立派さ派手さを競う方向へと向かうことになったのでしょう。


それはボディ・サイズから始まって、エンジン排気量、カムシャフトの数、バルブの数・最高出力、最高速度、メーターやスイッチ類の多さ・・・


果てはオーディオのスピーカーとスイッチの数にまで及んでいます。


いったんターボが出れば猫も杓子もターボ化され、4WDが出ればすべてのモデルに4WDが追加されます。


それは、確かに日本自動車産業のエネルギーの強さの象徴だったと受け取ることもできますが・・・


中古車の情報を得るユーザーもメーカーも常軌を逸していました。


・・・まるで打ち出の小槌をふればクルマなんかいくらでもできるといった感じでした。


ミニマム指向のクルマづくり

今後多くの人たちから求められる価値観は、ある種の合理性を伴ったものだと考えてもいいでしょう。


合理性というと、とかくカサカサに乾いた無味無臭の物体を思い出しがちでしょうが、そうではありません。


・・・それは必要なものと不要なものをはっきり区別するということです。


ほとんど戦後に興ったといっていい日本のモータリゼーションは最近まで上級指向で貫かれてきました。


より大きく、より強く、より速いクルマをみんなが求めてきました。


それ自体とくに不思議なことではありません。


欲望とは常に上を向いているものであり、大なり小なり世界に共通したことでもあるからです。


しかし、日本は戦前と戦後の一時期の非常な貧しさからかなり一足飛びに豊かになったという状況に引きずられたのか・・・


モノに対する執着心、金こそすべてといった風潮が野火のように広がり、それはクルマ選びにも当然強く及んだという側面を見逃すわけにはいきません。


それにホンダ 中古車が増えたことも、そうしたことの要因のひとつでしょう。

想像力をかきたてられる車

トヨタのような強大なメーカーが"世界のマス・マーケット"を対象に作り出す小型4ドア・セダンという条件下であれば、こうした既成の価値観が今後とも力をもち続けることはむろんありえます。


・・・しかし、商品そのものの魅力で売ってゆかなくてはならないメーカーのクルマということになると、そうはいきません。


例え小型4ドア・セダンという平凡なカテゴリーのクルマではあっても、高いインテリジェンスを感じさせるとか、高級車にも比肩しうる質の高さをもっているとか、ひたすらシンプルでありジーンズだけで過ごすようなライフ・スタイルにピッタリであるとか、すべての機能が熟年ユーザーに優しく仕立てられている・・・


・・・といったように際立った特徴をもち、ユーザーが中古車情報やクルマを見たとき、


「こいつを買えば、こんな時間が過ごせる」、「こいつと付き合えば、オレはこんなステージに立てる」、「こいつは、年寄りをとても大事にしている」


・・・といった現実的なイメージが浮かび上がってくるようなクルマであることが必要だということです。


これは、トヨタのような強大なメーカーのクルマであっても、マス.マーケットを相手にするクルマ以外には当てはまることだと思います。


とにかく今後、開発者たちは、ユーザーの現実的思考回路と夢想的思考回路の両方を共に細部までしっかりと検討し、どういうユーザーにどういうクルマをどういう形で提供すれば、どういう満足が提供できるのかということを、ハードウェアとソフトウェアの両面から可能な限り具体的に整理。


その上で「こうするべき」という結論を計画書の上に明記するべきです。


そういう意味では、開発担当技術者は宣伝分野にまで深く立ち入るべきですし、宣伝担当者も開発現場に深く立ち入るべきでしょう。

リアルな車選びをする現代

「こいつを買えば、オレにはこんなステージが待っている」といったイメージを、現実感を添えてハッキリさせるということです。


例えば、艶然と微笑むイブニング・ドレス姿の母親らしき女性と、タキシードで身を固めバイオリンを抱いた子供がコマーシャル・バンを飾り立てただけの1ボックス・ワゴンの対向シートに向かい合って座っている・・・


この種のカタログはいまだによく見かけますが、まるで掘っ立て小屋の中でフランス料理を食うといったような・・・


あまりにも現実感に乏しい、貧しさ剥き出しのメンタリティから生まれたクルマは、今後はきっと見向きされなくなるだろうということです。


中古車情報が多いことや夢を見せることは大事ですが、それが見果てぬ夢でもなく、馬鹿げた夢でもなく、


「ああそうか。こいつと付き合えば、こんな感じになるんだな!」


・・・といった、現実感の上に立った夢を見せることが必要だと私は考えているのです。


たとえば小型4ドア・セダンについて考えてみましょう。


小型4ドア・セダンといえば、手頃な価格で買えて、低いランニング・コストで維持できて、4人が狭苦しさを感じずに座れるキャビンをもち、誰にでも運転しやすくて、そこそこの性能と快適性を発揮する・・・


そんな内容を、スタイリッシュで立派に見えながらも決して前に進みすぎてはいないデザインで包み込むといったところが基本的な骨格になっていたはずです。


その骨格の上に、"個性"という名のほんの小さな飾り枠をはめれば「出来上がり」でした。

新しい価値観の提示を

前回述べたような流れは、クルマに夢を抱かなくなったことを示しているわけでもありません。


また、クルマに興味を失ったということでもないでしょう。


以前記したような理由で、多くの人たちに価値観の変化が起こったことによって「従来の価値観で作られた"自動車"」に興味を失った人たちが増えているだけのことだと私は考えています。


・・・ですから、モノへの単純な執着心や上級指向を失った人たちが求めている「新しい価値観」を提示することができれば、再び中古車に熱い目が向けられることになるに違いないのです。


ところで、「新しい価値観」といっても、それを捜し出すのはとても難しいことです。


しかし、ひとついえるのは、送り手のメッセージが受け手にはっきり伝わるクルマでなければならないという点です。


「どんな人が、どんな目的で、どんな時に使うクルマなのか」といったことを明確にアピールし、受け手が迷わずに自分の価値観を重ねられるようなクルマです。